神は“見える”存在だった――私が出遭った下生聖体

古川 スズ子

 私は、聖心教会のお話を聞くまでは、
 「神とは人間には決して手が届かない、目にも見えない存在」と信じていました。
 けれども、下生聖体(げしょうせいたい)宗教に出会い、
 「神が肉体を持たれ、この地上に生まれてこられた」
 「その神に、実際に“遭う”ことができる」――
 そう聞いた時、私は強く惹かれ、「肉体を持つ神に会ってみたい」と心から思いました。
 入教して、実際にそのお姿を拝したときの衝撃は忘れられません。
 「この方はなぜ“神”なのか?」
 「神に肉体が必要なのはなぜなのか?」
 私の中で、理解の追いつかない問いが次々に湧き起こりました。
________________________________________
■ 私の中にあった“信仰の常識”が崩れていった
 • 神は万能ではないのか?
 • なぜ神に肉体が必要なのか?
 • 信仰とは、宗教家を通して聞くものではないのか?
 これまで信じて疑わなかった“信仰の常識”が、一つ一つ覆されていくことに、私は強い戸惑いを感じました。
 けれども、下生聖体宗教ではこう教えられます。
 「信仰とは、神と人が“直接”出遭うこと」
 そしてその出遭いは、
 **神霊を宿した“下生聖体”と、
 人霊を宿した“人間”=輪廻転生身
 との間にのみ成立すると。
 つまり、宗教家を通さず、神ご自身と私たちが直接向き合える――これが、下生聖体宗教の根本にある教えだったのです。
________________________________________
■ 聖霊拝戴と真正聖書 ― 信仰への道を照らすもの
 この宗教には、**『聖霊拝戴(せいれいはいたい)』**と
 **『真正聖書(しんせいせいしょ)』**という二つの道が存在します。
 これは、下生聖体が、神聖家族である私たちに授けてくださった尊いものです。
 この二つを修することで、私は次第に下生聖体宗教の教えを理解できるようになりました。
________________________________________
■ 宗教家ではなく、“神ご自身”から直接教えられるということ
 私が最後まで抵抗を感じていたのは、**「宗教家と下生聖体はまったく違う存在である」**ということでした。
 これまでの宗教では、神の言葉は宗教家を通じて語られるものと思っていました。
 しかし、下生聖体宗教では、「神が直接その言葉を語られる」のです。
 抵抗する心がありながらも、その“コトバ”は不思議にも、私の中にまっすぐ入ってきたのです。
 否定するつもりだったのに、なぜか拒めない。
 この体験を通して、私は「下生聖体のコトバ」の持つ真実と威力を、身をもって知ったのです。
________________________________________
 今では、一般にある宗教と、下生聖体宗教との間には、信仰の成立そのものに根本的な違いがあることを実感しています。
 私は、神=下生聖体に出遭えたことに心から感謝しています。
 また、「神のコトバ=真正聖書」に触れ、「聖霊」を拝戴できたこと。
 そして何より、“真実の信仰”に出遭えたことをたいへんうれしく思います。
 これから多くの方々に下生聖体宗教を伝えていきたいと強く願っています。