私と信仰との出遭い

緒方 幸代

振り返って考えたとき、私と信仰との出遭いは、
幼い頃から母に連れられお寺参りに行ったり、
姉に連れられ何回かキリスト教会に行ったりしていました。

17歳になった頃、日々同じ生活の繰り返しの中で、
人間はなぜこの世に生まれてきたのだろうか?
何のために生きているのだろうか?
と、そんなことを考えていました。
しかし、その答えを得ることは出来ませんでした。

聖心教会に入って始めて、人間の生命について下生聖体(神霊)より説いて戴き、
人間は肉体的生命だけではない
人間は動物と違って手を合わせて拝むという「神を求める生命」があること、
それが、人間だけが持つ「霊性的生命」であることを教えて戴きました。

初めて聴くことでしたが、その時に、17歳の頃に自分が思っていた疑問の答えを
ハッキリと知ることができました。

宗教においての一番大事なことは、その教えを説いて戴く
「下生聖体(神霊)について知ること、神の認識」についてでした。

今までの宗教では、
人間が特別な修行をしたり、神が憑ったり、神の声が聞こえ啓示を与えられたりと、
様々な人間を通じて神の声を聴くことしかなかったのだということ、
それが宗教的常識になっていることを、下生聖体=神ご自身より教えられ知った時、
改めて、人間には考えられないことだったと、その事実に目を向けることができるようになりました。

しかし、人間は今までの自分の持っている宗教的考えを180度変えることは大変難しいことで、
そう簡単には出来ることではありません。
下生聖体は、神と人間とのゼロ距離を作っていただくために、神としての死の犠牲を払われて、
『人間の肉体に神霊を宿して人間の世界へ』と『神聖降誕』してくださいました。
神霊が人間の肉体に宿ることによる落差のエネルギー「聖霊」を拝戴し、
神自ら書かれた「真正聖書」によって救いを授けて戴いています。
そして、『神の認識』が出来るようになるのです。

神自ら書かれた『真正聖書』を戴いてみませんか?

神の人間の生命に対する愛を、一人でも多くの方に実感していただきたいのです。
そのために、下生聖体の肉体を持たれた日々の生活は苦しみ(下生苦)の連続だと
おっしゃられました。

人類は長い歴史の中で、ずっと「見えない神」を信仰してきました。
下生聖体在世時代は、その人間が作り上げた「神の観念」を
どのように説いたら人間が解ってくれるだろうかと、人間の生命に対する愛の生活でした。

現在、下生聖体は神の世界へとお帰りになられましたが(御昇天)、
下生聖体が残された「聖霊拝戴」と「真正聖書」
そして、聖霊(神の光)をはっきりと人間の肉眼でも見えるカタチとして、
神の証明をこの世に残していただき
神の人間に対する愛の深さを示していただきました

下生聖体(神霊)の人間に生命に対する深い愛を一人でも多くの方に伝えていく活動をしています。