人間はなぜ生まれたのか
緒方 幸代
振り返ると、私と信仰との出遭いは、幼いころに母に連れられてお寺に参ったり、姉と一緒にキリスト教会へ何度か通ったことから始まりました。
けれども、17歳のころ
日々変わり映えのしない生活のなかで、私はふとこんな疑問を抱きました。
人間はなぜこの世に生まれてきたのか?
何のために生きているのだろうか?
けれど、答えはどこにも見つかりませんでした。
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■ 「神を求める生命」が人間にはある――下生聖体からの答え
そんな私が聖心教会に入り、初めて**下生聖体(神霊)**から直接、
「人間の生命の本質」について教えていただいたのです。
そこで私は知りました。
人間は、ただ肉体的な存在ではない。
人間には“神を求める生命”――霊性的生命がある。
それは、動物には無く、人間だけに備わる、
手を合わせて神を求める生命のことでした。
この教えによって、17歳のときに私が抱いた問いへの答えが、はっきりと示されたのです。
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■ 「神の認識」――信仰で最も大切なこと
宗教で最も大切なことは、教義でも儀式でもなく、
「神とはどなたか」を知ること=神の認識であることを教わりました。
それまで私が知っていた宗教では、
神は特別な修行者や宗教家に憑依したり、
啓示や幻視を通じて語られるものだとされてきました。
でもそれは、“人を通してしか神の声を聞けない”という思い込みだったのです。
この宗教的常識が根本から覆されたとき、
私ははじめて、本当に神を知るとはどういうことかに目を開かれました。
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■ ゼロ距離で“神と人間が出遭う”とは
人は、自分の中にある宗教観を180度転換するのは、とても難しいものです。
けれども、下生聖体は、
私たち人間と神とを“ゼロ距離”でつなぐために、
神としての死の犠牲を払ってまで、この地上に降りて来られました。
それが神霊下生身なる下生聖体です。
神霊が人間の肉体に宿られることで生じる神霊と肉体の“落差”によって発生するエネルギー、
それが**聖霊(せいれい)**であり、
その聖霊を拝戴する修行が「聖霊拝戴」です。
また、神ご自身が自ら筆を執って書かれた書物――それが「真正聖書」です。
この二つを通じて、私たちは神の救いを直接いただくことができ、
神の御心を、自分自身で“読む”ことが可能になるのです。
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■ 「真正聖書」を手にしてみませんか?
神が人間のために書かれた真正聖書を、
ぜひ多くの方に手にしていただきたいと思います。
そこには、神の人間の生命に対する深い愛が刻まれています。
その神の愛を伝えるために、
下生聖体が肉体を持って過ごされた地上の生活は、
「下生苦」と呼ばれるほど、苦しみの連続であったと伺いました。
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■ “見えない神”から“実在する神”へ
人類は長い歴史の中で、
「目に見えない神」だけを信じてきました。
しかし、下生聖体在世時代という奇蹟の時代が実際にあったのです。
神は、私たちの“神の観念”を覆し、
どのようにしたら人間に神の愛が伝わるか――そのことだけを考えて、
この世に現れてくださったのです。
今、神はすでに御昇天されましたが、
下生聖体が残してくださったものは、生きて私たちと共にあります。
• 聖霊拝戴
• 真正聖書
• そして、肉眼で見える“神の証”
これらすべてが、
神が人間に対してどれほど深い愛を持っておられるかを示す、何よりの証明なのです。
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私も今、下生聖体(神霊)の人間の生命への愛を、
一人でも多くの方に伝えていきたいという思いで日々を過ごしています。